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フタゴログ ~if あなたの人生は私が選択しなかった人生~

双子の姉妹が交換日記的に日常をつづるブログ

【書評】コーランには本当は何が書かれていたか? カーラ・パワー

こんにちは、さいとうゆかです。
今回は『コーランには本当は何が書かれていたか?』の書評です。

タイトルそのものがズバリ!私が知りたいと思っていたこと!
日本ではすっかり過激派とかIS(イスラム国)とかジハードとか怖いイメージになってしまったイスラム教、そのイスラム教の教典「コーラン」って本当は何が書いてあるのか?
日経新聞に本の紹介が載っていて、すぐに図書館で予約したものの、予約が殺到していて何ヶ月も待って、やっと読むことができました。

本の内容を軽く説明すると、
著者のカーラ・パワーさんはアメリカ出身(ロンドン在住)。フェミニスト学者でユダヤ人の母、クエーカー(キリスト教プロテスタントの一派)で法学者の父をもち、幼少期から中東・南アジアで暮らした経験を持つ。タイムやニューズウィークに記事を書く中東専門のジャーナリストです。
家族で信仰熱心な人は誰もおらず、カーラさん自身は考え方がフェミニスト寄りの無宗教に近い感じです。

そのカーラさんが、イスラム教古典研究者であり信徒の指導も行う、モハンマド・アクラム・ナドヴィー師と一年間一緒にコーランを読む、という内容。

モハンマド・アクラム・ナドヴィー師の経歴はイスラム教文化を持つインドの村に生まれ、正式なマラドサ(イスラム学校)に学び、イギリスにあるイスラム研究センターの特別研究員としてオックスフォードで暮らしています。
モハンマド・アクラム・ナドヴィー師は研究により、歴史に埋もれていた女性イスラム学者・指導者を9000人近く発見しています。

フェミニスト無宗教の女性と原典主義イスラム教指導者の二人は意外にも意気投合しながらコーランを読んでいきます。よく女性に差別的(女性はベールで髪を覆わなければならない、自由に外出することができない等)と言われるイスラム教だけに、本のハイライトは女性問題が中心。
古典を研究し、保守的で原理主義のアクラムさんはコーランを厳密に読もうという立場です。ですが、アクラムさんは自分の娘にベールをかぶるよう強制しません。
女性を抑制するイスラム教の慣習と呼ばれているものはイスラム教がアジア各地に広まっていくうちに徐々に地域の慣習と結びつき、吸収していくうちに出来上がったもので、ムハンマド時代の女性は現在の女性よりはるかに自由に行動していました。

カーラさんは『幼児婚』の問題でアクラムさんと対立します。預言者ムハンマドは当時九歳のアイーシャと結婚しているため、イスラム教が『幼児婚』を許していると批判される問題です。原典主義のアクラムさんが、幼児婚に絶対反対の立場を取らないことにカーラさんは意気消沈しますが、その後アクラムさんは学生と討論を重ね、過去の事例に新たな証拠を見つけて幼児婚反対へ立場を変えることを宣言します。

本を読んでの感想は、
現在イスラム世界で問題になっていることのほとんどはイスラム教の本質ではないということ、女性差別的な問題も地域的な慣習だったというのがまずショック。
確かにイスラム教自体が、すべてを包み込むような宗教であると聞いたことがあります。それもあって地域の習慣をそのまま吸収して広く広まる要因となったと。
でも普通の信者がそれが地域の習慣なのか、イスラム教の信仰に関わる習慣なのか判断するのはかなり難しいことなんじゃないだろうか…。
ぜひ、モハンマド・アクラム・ナドヴィー師にこの明らかになった事実をイスラム教徒の人々に広く伝えてほしいところ。

正直、コーランに過激な記載がないのか?といえば、ある。それを過激派は自分の都合のいいようにつまみ食いして利用し、やりたい放題やっている。その過激な記載が書かれた時の歴史的文脈を考え、記載を最後まで読むことで、内容は全然違うものになる…。

本を読んでいるとモハンマド・アクラム・ナドヴィー師は尊敬できる素晴らしい人物なんだろうな~と思います。
ただそのモハンマド・アクラム・ナドヴィー師の静かで平和的な原理主義を可能にしたのも、結局、本人の経歴によるものなのかなと。もともとイスラム教文化のある村で生まれ、イスラム教の正式な教育と、西洋の教育を受け、20年にわたるイギリスでの生活。教育を受けることと外国での生活でより客観的にコーランやハーディス(預言者ムハンマドの言葉や行為)を研究することができたのではないかなと思う。
明日には爆弾が降ってくるかもしれない、友人や親、子どもがいつ殺されるともわからない日常を送っている人のコーランの解釈は全く違うものになるはず。

文書の形を取るものだけに、読む人によって解釈がまったく異なるという問題はきっとコーランに限らず、聖書だって同じ問題はあるんだろうな~。
その問題を解決のするのはほとんど絶望的なことで、改善策として考えつくことと言えば、「教育」。それぞれ人々が勉強して、何が本質なのか何が大事なことなのか自分で判断できるようになるしかない…。

本書を読んでイスラム教が恐ろしい未知の宗教という印象から変わった気がする。
今は雪まつりシーズンまっただ中。地下鉄に乗っていると、海外からの観光客がいっぱい乗ってくる。イスラム教文化の東南アジアからの観光客も結構多い。
昨日地下鉄で座っていると、イスラム教徒と思われる観光客が数人乗ってきた。ほかの観光客はすぐに座れたのに女性観光客ひとりだけ座りそびれてしまったらしい。
丁度横の席が空いていたので、少しずれて「ここ空いてますよ~」とジェスチャーしたら、
「Thank you」と小声で言ってからニコっと笑って座ってくれた。
やっぱり髪は見せちゃだめなようで、ニットでできた首まできっちり隠れる一体型の帽子(スカーフのようにに首まで隠れる)を被っていて、座っている間帽子から髪が出ないように一生懸命なおしていた。
もともと東南アジアからの観光客にこれといって悪い印象はもっていなかったのだけど、本書を読んでいたのでなんとなく親近感を感じました。
イスラム教=過激派のイメージが強い日本で、もっとこの本が広く読まれて理解が広がればいいなと思う一冊でした。